著者の紹介・理念

津田祐子

平成14年の運勢は真っ白でラッキーな年でしたが、平成15年の運勢では少〜し黒い?らしいです。まっいいか、なるようになるさ・・・です。
子供の頃、何でもやり始めると夢中になるらしく、おやつを何時も姉に取られていたそうな。

姉:「ゆうちゃん、おやついらないの?」
私:「うん(遊びに気を取られていて何でもうんうん返事のみ)」
姉:「あっそう、貰っていい?」
私:「うん」
・・・しばらくして・・・貰ったおやつを思い出し探すと無い!・・・
私:「姉ちゃんが取って食べた〜!わ〜ん」と泣き出す。
母:「はい、貴方の分よ」

(こういうこともあろうかと、何時も3つに分けていたと言う母。)
成長してから幼いときの2人の娘の事を懐かしく語ってくれました。
(はは〜ん、姉は何時も私の2倍は食べていたんだなあ。どおりで私は体が小さくて姉は大きいんだ!

ストレス解消法

ストレス解消法 お誕生会でお友達にパートナーで来て頂いてワルツ、タンゴを踊りました。けど、なぜか私がドレス来ているところがないのでみんなは持っていないのだろうと思っているみたいです。そんなことはないのですけど・・・ね。

秋祭りの時の一こまです。

各スタッフそれぞれ何か一芸をしなくちゃいけないんです。若いスタッフとチャチャチャを踊っているところで〜す。

ストレス解消法

若いときにしたいなあと思っていたが、子育てで忙しかったので・・・。
最近は、少し時間的に余裕があるので、(じっとしてられない性格で)始めましたよ。「Shall We ダンス!!」これが、難しいけどおもしろい。
リズムに乗って(?)全身の血液の流れをよくするので、踊った後は身体が軽くなり、階段を上がっても息切れしないし体脂肪が23,4に減りました。

○○の手習い

これからはパソコンが使えないと仕事が大変だあ〜あちこちの学会もパソコンで作成するようになってきた。弱った!逃げられないならえ〜い手習いに行こう! っと。
電話帳で近くのパソコン教室を探しておそるおそる 「あの〜マウスが何かもわからない。全くの素人ですけど教えてもらえます?」と、その時の電話口に出た若い男性のまあ!なんと、歯切れ良い爽やかな声。
誠実感があり春風のような印象を受けたのです。で、どんな人だろう?と(フムフム・・・興味有り)思いつつ・・・何となくお人柄がイメージできました。
お会いしてみて「まさしくその通り!」で、ぱっちり二重のおっきな目のハンサムで素敵な先生でした。

早速、数年間りとるまみいパソコン教室に通わせて頂きましたが、教える側は大変だったと思います。

非常に覚えが悪く、カリキュラムから外れ、学会の原稿やら職場の資料作成やら持ち込むわ、はては丸投げしちゃうわでやっかいなおばさん生徒だったのですが、何時もにこやかで親切丁寧りんとした立派な先生でした。卒業しても困った時は駆け込んでおりいます・・・今後も重ねて宜しくおねがいしまあす。

私の人生観〜一部

(幼少からの母の教え(良く格言を聞かされた)が染みついてか・・・)

〜苦労は買うてでもしよう!!〜

以前は、何で?「苦労」にカネを払ってまでするの?と疑問でした。しかし、少々人生の艱難辛苦を味わうと・・・実は、この「買うてでも苦労する意味」がわかったのは、40半ばからで、今の私には「まったくそのとおり!!」と納得しています。(・・・まだまだ、苦労が足りない私。)

〜物・金・財・地位・学歴・名誉が何のその
最も素晴らしいのは、豊かな心、広く深い思いやり、誠の勇気の出せる人〜

人間の価値は、「人柄」で決まると思う。「人格を尊重する」ところに平和があり、“和”ができるのでは・・・。良い仕事は、明るい人間関係が土台ですよね。

看護の目標

看護の目標 20才で看護の仕事に入りました。その時、どの様な看護婦さんを目標にしようか・・・と悩みました。優しさや思いやりの看護を理想として看護学校では学びましたが、ところが現場は教科書に書いてない実態が・・・。
上司に気に入られると先輩や同僚から受ける嫉妬や陰口(これが結構辛い)、学歴や資格が優先する管理体制(仕方ないか。勉強嫌いでしたもの)・・・等々。
しかし、この道に入ったんだから何か志を立てなくちゃあ!と。数年考えて、「これにしよう。」と決めました。私がこの仕事を続ける限りと決めてから、20数年、現在も追い求めていますが・・・。
『看護婦なら、枕元に立つだけで「ほっと」させられるそういう人になりたい。看護の質は、ここに評価される。』

(多分、生涯の努力目標でしょうね。)